エッセイ

2010年7月 7日 (水)

エッセイ■アナザーリアリティー試論I・8

 ここでもう一度「アナザーリアリティー」というものを捉え直してみたい。
 ここまで思考してきたことを振り返るとき、「アナザーリアリティー」と「ヴァーチャルリアリティー」は似て非なるものと言うことができる。
 これは「ヴァーチャルリアリティー」が現実を模した、あるいは現実のような仮想であるのに対して、「アナザーリアリティー」は、仮想ではあるが現実と結びついたものと言えるだろう。
 この結びつきが、ユーザーの自己投影によるアバター及びキャラクターのパーソナリティーに根ざしていることは先に延べた。
 また、自己投影をするアバターやキャラクターが生きる世界そのものに、ユーザーは思い入れを強めていくとも言える。
 そしてでき上がる仮想世界が、すなわちアナザーリアリティーの世界となるのである。
 したがって、「もうひとつの現実世界」と呼べるとしても、それは現実の世界(建物や都市といった)を模している必要はない。ユーザーがアバターやキャラクターという「もうひとりの自分」を生きる世界がアナザーリアリティーなのである。

Nekome_010

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2010年6月30日 (水)

エッセイ■アナザーリアリティー試論I・7

 人は、肉体のほかに魂(あるいは霊魂)があり、そのふたつがひとつになることで「生きている」状態と考えている。いや、そう思っている人が圧倒的に多いだろう。魂や霊魂が、たとえ科学的に証明されていなくとも、物体である肉体に何らかの作用を及ぼす別のものがあって初めて、生きた生物としてあるのだと考えている人が多いと思う。また、この肉体を離れた魂なり霊魂の思想があるからこそ、天国なり地獄といった世界も成立している。
 ここでいう「魂」や「霊魂」は心霊学的な捉えかたになるだろうが、この論の主旨であるアナザーリアリティーに当てはめて考えたとき、これを心理学的な「自我」と捉えてみれば、現実の肉体を離れて仮想空間の中で「もうひとりの自分」にそれを投影し、自己を確立していく要素となることは、わりと受け入れ安い思考ではないだろうか。
 心理学では、自我、超自我、エスと自我にも段階があることを解いているが、日常でも人は多面的な要素を併せ持っており、いくつかの「顔」がある。先に延べた、アバターやキャラクターが腹話術の人形のように用途によって使い分けられるのと同じように、日常でも人は、シーンによって自分を使い分けているといえる。
 つまり、アナザーリアリティーは現実の自分を映す鏡にほかならないと言えないだろうか。
 意図して仮想世界のアバターやキャラクターに自己を反映させるのではなく、現実世界で鏡に自分を映すように、自然に自己が仮想世界のアバターやキャラクターに反映されるのである。

Nekome_015

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2010年6月23日 (水)

エッセイ■アナザーリアリティー試論I・6

 アナザーリアリティーは、ヴァーチャルリアリティーを呼び換えるものではないとさきに述べた。
 両者の差異についても触れたが、さらに付け加えればそこにコミュニケーションがあるかないかということがあげられると思う。
 もちろんヴァーチャルリアリティーも一方的なものではあるがコミュニケーションではある。しかし普通使われる意味での「交流」を指すものとしては、アバターやキャラクターが文字チャットや音声で会話のできるMMORPGや仮想空間におけるコミュニケーションとして認識されるだろう。
 このコミュニケーションがあるからこそ、ユーザーはアバターやキャラクターをもうひとりの自分として認識することになるのだと思う。そしてそうしたユーザーが集まることで、その世界が「もうひとつの世界」「もうひとつの現実」となっていくのではないだろうか。
 自分を自分として認識する要素として他人があり、その他人が存在するMMORPGや仮想空間だからこそ、他人とは違う自分を認識し、現実の自分をアバターやキャラクターに投影していくのではないだろうか。それにはコミュニケーションが不可欠である。

Nekome_013

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2010年6月16日 (水)

エッセイ■アナザーリアリティー試論I・5

 さきにユーザーと、アバターやキャラクターの関係を腹話術師と人形に例えたが、腹話術師の人形はひとつではない。動物であったり子供や老人といった、話を進める上での役割を演じる用途によって使い分けられる。
 これは、MMORPGでよく見られる、1ユーザーが複数のキャラクターを制作し使い分けることにも共通しないだろうか。
 MMORPGでは、キャラクターの種族や職業の種類によって、複数のキャラクターで楽しむということがあらかじめ想定されているので、1ユーザーが複数のキャラクターをつくることを容認している。また持ち物にアイテムが入りきらなくなることもあり「倉庫キャラ」という、持ち物を持たせるだけのキャラクターを作ることも半ば常識化している。
 種族や職業によってキャラクターの外見は違い、名前も変えて作ることになるが、同じユーザーが操作することで、共通性は出てくる。しかし複数のキャラクターが全く同じかというと、キャラクターの外見や能力によってユーザー自身が使い分けをしている面もあると思う。これが腹話術師と人形の関係に近いのではないかと思えるのだ。
 ユーザーの意思を反映したもうひとりの自分ではあっても、ある程度の距離感をも意識したもの、それがアナザーリアリティーの世界ではないだろうか。

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2010年6月 9日 (水)

エッセイ■アナザーリアリティー試論I・4

 ボクが考えるアナザーリアリティーは、これまでヴァーチャルリアリティーと呼ばれてきたのもを、名称変更することではない。
 というのは、3DCG技術やARなどで、現実のように見える架空の映像は「ヴァーチャルリアリティー」としていまも、そしてこれからもあり続け、そう呼ばれると思うからだ。
 一方ボクが「アナザーリアリティー」と呼ぶものは、たとえばSecond LifeのようなメタバースやMMORPGといった、一見して現実ではないとわかってしまう世界に多いと思う。これは先述したユーザーの意識がどこまで入り込んでいるかというのが判断の基準となるので、見た目の映像で判断しているものではない。またユーザーの操作といったその世界での自由度をあげることで、現時点では現実と錯覚するような仮想世界の映像というのはまだ難しいのかもしれない。
 話が少し横道にそれるが、仮想世界でユーザーがつくる動画などが、アナザーリアリティー内のヴァーチャルリアリティーと呼ばれることも今後あるかもしれない。

Nekome_005

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2010年6月 2日 (水)

エッセイ■アナザーリアリティー試論I・3

「もうひとりの自分」というものを具体的に見せたのは、映画『アバター』だったかもしれない。またアニメ『攻殻機動隊』に登場するリモート擬体というものも「もうひとりの自分」といえるだろう。これらは共に、主人公と同じ現実世界に存在するという設定である。いまボクがアナザーリアリティーと呼ぶ仮想世界やMMORPGの世界は、ネット上の、PC画面の向こうの世界ということで、現実ではない。それらの世界の中に「もうひとりの自分」を感じているユーザーも、現実世界とは区別して意識しているはずである。この関係はもしかしたら、腹話術師と人形の関係に近いのかもしれない。人形はあたかも腹話術師とは別の人格を持っているように見えながら、あくまでも腹話術師の意思のもとにコントロールされる。ユーザーの意志というものがキャラクターやアバターに与えているものに近いのではないだろうか。

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2010年5月26日 (水)

エッセイ■アナザーリアリティー試論I・2

 このアニミズム的にアバターを捉えるという考え方は、たとえば「ネトゲ廃人」と呼ばれる人たちに顕著に表れているのではないだろうか。
 彼ら(彼女ら)にとって、それは現実ではないという認識を持っていても、だからといって自分とは別の存在ということでもなく、まさに「もうひとりの自分」「もうひとつの(現実)世界」としてそこにあるといえる。
 多くのオンラインゲームでは、システムが用意したキャラクターの中から自分の好きなものを選択し、多少のカスタマイズを加えてプレイする。したがって同じ顔、同じ服装のキャラクターが複数存在することになるわけだが、ユーザーが操る「癖」やチャットによる自己表現がそこに「キャラクター(人格)」を与えていく。自分の操るキャラクターへの思い入れなどが、アニミズム的な霊的、精神的なものを3DCGのキャラクターに与えることによって、それは単なる画像ではなく、もう「ひとりの自分」として認識されていくのだと思う。
 Second Lifeのように細かくアバターをカスタマイズすることのできる世界は、その傾向がなおさら強くなるのではないだろうか。

Nekome_018 

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2010年5月19日 (水)

エッセイ■アナザーリアリティー試論I・1

 インターネットなどの仮想世界は一般的にヴァーチャルリアリティーと呼ばれている。
 現実を模した、しかし現実ではない世界であるということではそれは「仮想」であることに違いないかもしれない。
 しかし、メタバースと呼ばれる仮想空間やMMORPGなど多数のユーザーが同じ時間と空間を共有する世界は、もうひとつの現実世界、アナザーリアリティーと呼べるのではないだろうか。
 もちろん3Dや通信速度といった環境やCGなど表現の進化によって、見た目として現実に近づいた仮想世界ということも確かにある。が、ボクが仮想世界をアナザーリアリティーと呼べるのではないかというのは、そこに集まるユーザーたちがいるからだ。
 それぞれのユーザーが操るキャラクターやアバターは、それだけでは3DCGで描かれたグラフィックにすぎないが、ユーザーによってひとつの人格として認識されていくことになる。これはアニミズム的な心身二元論でいえば、現実の肉体から分離した人格が仮想世界のアバターと融合した状態といえるのではないかと思うのだ。この意味において仮想世界のアバターはそのユーザーの「もうひとりの自分」として存在することになる。

Nekome_001

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